ハート防災ライターのJです。
静岡県内の防災に関わる、ヒト・モノ・コトや歴史などをレポートすることとなりました。
防災素人の私で良いのか?ラーメンならまだしも?という自戒の念を抑えつつ、素人ならではの視点で、少しでも多くの人に響く情報が届けば幸いです。
第一回は、湖西市にある「おんやど白須賀」。
津波に関する資料が展示してあるという情報を元に、何のアポもあても無く、訪問してきました。
「おんやど白須賀」は、東海道宿駅開設400年を記念し、白須賀宿の歴史と文化に関する知識を広め、資料の保存と活用を目的に設置された白須賀宿歴史拠点施設です。
おんやど白須賀の紹介はこちら http://kosaicity.com/onyado.html
白須賀宿は元々、汐見坂(潮見坂)下の海岸沿いにあったのですが、宝永4年(1707年)の津波被害に宿場が全滅、今の坂上の台地へ移転したのです。
カメラをぶら下げたおっさんが何やらしているぞ?そんな不安を払拭すべく撮影許可をいただいた所、アポなしにも関わらず館長の森さんが親切に案内してくれました。
入り口から中庭を抜け、展示室に入ると正面一面に、津波の記録コーナーがあります。
まず、目を引くのが、何か土の塊のようなもの。なんだ、これは?
2001年の道の駅建設の時に発見された土層を剥ぎ取ったもので、過去の津波の跡がわかるそうです。
1498年、1606年、1707年に起きた津波の爪痕が土層という形で残っていたのです。近くで見ると、少し黒っぽく、土質が違うのが分かります。
白須賀を襲った地震、津波の年表を見ると、改めて
地震、津波は繰り返すもの
自然災害から逃げることはできない
ことを実感します。
1707年の津波による全壊の後も、1854年、1944年と大きな津波被害に遭っています。
特に、南海トラフで起きた地震が静岡県に大きな津波被害をもたらし、その周期を見てみると、これから50年の間に同規模の地震が来る可能性が大きいことを、歴史が教えてくれます。
遠州灘、東海道、旧白須賀宿跡の位置関係がわかる空撮写真
1707年の宝永地震の翌年に高台へ移転した
これらの資料から感じるものは人それぞれ違うと思いますが、
繰り返す地震・津波は、忘れたころにやってくる
自然には勝てない人間の弱さ
それでも復興しながら生き続ける人間の強さ
が、足下に残る土層から伝わってきました。
とりあえず、津波予報が入ったら、何は無くとも高台へ走れ。
津波は防げずとも、津波予測の技術は、100年前より進化しているようなので。
取材帰りに、潮見坂ポイントへ。
波の良い時には、大勢のサーファーで賑わうメジャーポイントのひとつ。
サイズ、波質が良ければ入ろうと思いましたが、諦めました。
津波の時は、どんなだったのだろう?
宿場を飲み込む波は想像できません。
津波注意の看板。
どんな注意をすればいいのでしょうか。