災害対応型SSって何じゃ?? ―静岡市【中村石油】―

ハート防災のJです。災害対応型SSって、みなさんご存知でしたか?

防災無知の私は、胸をはって「すみません。はい、知りません」

早速ググってみると、全石連のホームページ「石油広場」に、その説明がありました。http://www.zensekiren.or.jp/08syohisya/0807

“「災害対応型給油所」とは、発電設備及び給水設備の設置により、災害時に電気、水道がストップした場合でも、給油所や水の提供が可能な、いわば災害に強い給油所のことです。”

ほ~。それは心強いではないか。

でも、ガソリンスタンドって、油あるし、燃えたら一番やばいんじゃないの?って単純な疑問が・・・

その答えは、以下のページにありました。

内閣府防災情報のページ「みんなで減災」http://www.bousai.go.jp/kyoiku/keigen/torikumi/tsh22002.html

ガソリンスタンドは、可燃性の危険物を取り扱っているから、消防法、建築基準法上、厳しい基準の元に建築されていて、地下のタンクに引火しない構造(地下にタンクがあることも知らなかったよ)になっているそうです。

阪神・淡路大震災の時には、周りの建物が倒壊、焼失する中、ガソリンスタンドが延焼を食い止める現象が数多くみられ、その安全性に注目が集まったとのこと。

ほ~。それは、ますます心強いではないか。

ちなみに、先述の石油広場に、災害対応型給油所の全国マップ(平成28年11月現在)があったので、静岡県内の設置状況を見てみると、なんと31か所も。堂々の全国1位でした。

でも、防災先進県しずおかのPRパンフレットの中には入ってなかった。こういう民間の取り組み、もっとアピールしてもいいと思うけどな~。

ということで、百聞は一見にしかず。災害対応SSを大きく打ち出し、存在を知らしめてくれた、静岡市曲金の中村石油さんを取材させていただきました。

店長の山口さんが親切に案内してくれましたが、とってもシャイな方で写真はNGとのこと。皆様にお見せできなくて残念です。気になる方は、お店までどうぞ。

全く意識したことのなかった防火壁。これが延焼を食い止めるのか、と思うと、頼もしく見えてくるから不思議。山口さんからしたら、ごく当たり前のことらしいですが、一般人にはわからないですよね。「そんなもんすかね」とさりげない感じが、また頼もしい。まさに防火壁のようなお人だ。

この防火壁は、ガソリンスタンドでは当然のこと。でないと、消防法、建築基準法を通らないから。さて、本題は災害対応型SS。

ここまでアピールしてくれると、わかりやすいですよね。

災害対応SSにも色々あるけど、要は発電設備と給水設備を両方備えている給油所。中村石油の場合は、太陽光発電と内燃式の発電、両方あります。

でも、どこにあるんだろう?

山口さんにお伺いすると、スタンドの外に案内されました。

消防法の関係で、スタンド敷地内には設置できないそうです。シャッターを開けて、見せていただきました。

手前の扉の空いているところが、太陽光発電を制御するパワーコンディショナー(太陽エネルギーを交流電力に変換して家庭用電源などに利用できるようにする機械)。そこで産まれた電力を蓄電池に充電し、スタンド内のLEDは、ほぼ賄えるそうです。

そして、倉庫の横にあるシートを開けるとそこには・・・

200Vの電源まで供給可能な、ディーゼル発電機。軽油を入れていれば、ずっと発電し続ける。ガソリンスタンドだから、軽油の心配もない。災害時の強い味方ですね。

えーと、水はどこにあるんだろう?スタンド東側に案内されると、そこには貯水タンクが。

常に4000ℓの水が貯水されているとのこと。見えないところに、こんな努力があったなんて。

 

災害対応型SS。

平時では顔を出すことのない数々の機能が、有事の際には災害対応の強い味方に変身し、火災の延焼を食い止め、地域に灯りを点し、水や電気を供給する。

それを後押しするのは、地域に貢献するという企業文化。

何も起こらず、使われることのないことがないのが一番という山口さん。それでも、常に機能するように定期点検を続ける。

あって良かった、が来ない日を祈りながら。

取材協力/ 静岡市駿河区曲金3丁目4-6  中村石油 http://nextoil.web.fc2.com/

スタンド西隣は、系列店の葉山珈琲さん

※本記事は、2018年1月23日に取材しました。

防災公園から情報発信ー吉田町【北オアシスパーク】ー

「防災公園」とは

「大都市を中心に地域の防災構造を強化するために整備され、非常時の防災拠点、避難地、避難路としての役割をもつ都市公園や緩衝緑地。(中略)かりに大震災が発生した場合、被災直後の混乱状態や、人の生命維持のための水・食糧などの物資が極端に不足した状態から回復するまで、およそ3日間はかかるとされている。防災公園は、その間の避難者の生活を補助するさまざまな機能を有する場所であり、災害時にスムーズに利用されるためにも、平常時は広大なオープンスペースや緑地を生かし、高齢者や乳幼児、子供、障害者など、幅広い人たちに親しまれる公園として整備された施設であることが望まれる。」コトバンクより 全文はこちら

ハート防災Jです。平成28年10月にオープンした吉田町の「北オアシスパーク」にやって来ました。

東名吉田インターから南へ2分ほど、道路案内標示もあり迷わず到着。完成して1年半なので、まだ新しい公園です。

防災というとどうしても地震を想定しますが、大規模な火事、洪水、がけ崩れも災害です。そうした災害が起きた時、即座に対応できる公園があるのは心強いです。

園内には、「かまどベンチ」「防災パーゴラ」「マンホールトイレ」「防災用井戸」「緊急用飲料水備蓄タンク」など、防災時に使用できる設備が整っています。

北オアシスパークの概要はこちらhttps://www.yoshida-machizukuri.jp/oasis-park

公園を見る前に、正面にあるオアシス館に寄ってみました。

ここだけ見れば、オシャレなカフェ。入り口前にはテラス席があります。

中に入ると、何やら床に・・・。

空から見た吉田町の写真です。

津波避難タワーや学校、公園の場所がマッピングされていて、吉田町全体の避難所状況がよくわかります。壁でなく床に置いたことで逆に見てしまう、ある意味アートな発想ですね。

防災用品展示室は、自由に閲覧可能です。

非常食の紹介コーナー。

防災に関する情報誌もいっぱいで、一部は持ち帰りOK。吉田町の地震防災ガイドブックは、なんと全40Pで内容がとても充実していました。ブロック塀の点検方法まで図解で説明していて、吉田町の防災意識の高さが伺えます。

マンホールトイレ。実物を見るのは初めてです。

家具・家電の転倒防止器具の紹介も細かい。ネットの写真だけでは伝わりにくいものを実物と図解で説明しているので、転倒防止器具を検討する際には見に来ると参考になると思います。

「帰宅困難時・災害時睡眠3点セット」こんなものもあります。

北オアシスパークは単なる防災公園でなく、防災情報発信基地という顔を持っています。災害時に生死を左右するのは情報。その大切さを忘れてはいけません。

防災以外の町の情報も充実しているので、吉田町への移住を検討される方は一度訪れてみるといいでしょう。良質なサーフスポットも近いので、サーファーファミリーにはおススメです。

公園の方はというと・・・。

とにかく広いです。手前に見える、丸いのは何でしょう。

マンホールトイレ用のマンホール。全部で8個あります。震災直後、水が使えない時に欠かせないのが、流す必要のないトイレ。水洗トイレが普及する前には想定されなかった問題です。便利になることで、今まで想定されない課題が産まれる。携帯が無いと何もできない人が増えていくことも怖いですね。20年前にスマホは無かったですから。

オアシス館の裏に駐車場があります。優先駐車スペース1台分を含めて51台が駐車可能。

そこから見えるのが、耐震性の貯水タワー。でかいです。

タワーには、吉田町の名所を案内するイラストマップが描かれています。無味乾燥なタダのタンクでなく、見て楽しくしようとするココロ、姿勢がいいですよね。ハードも、ハート(心)を込めて表現することで何か違うものに変わる、そんな気がします。

多目的広場。広大なスペースですが、災害時は68棟の仮説住宅用地になるので、遊具は周りに配置されています。比較的空いているので、子どもをのびのび遊ばせたい時におススメ。彩りもいいですね。

トイレもお洒落。

防災公園というと、どうしても固いイメージがありますが、避難所として使うことは災害が発生したとき。日常の中で楽しく遊べることが大事です。イベント会場としても利用が進む北オアシスパーク。4月28日、29日には、昨年好評だった「オアシスマルシェ in YOSHIDA 第2回」が開催されます。詳細はこちら(静岡新聞@S)

花、カフェスペース、床の写真、イラストマップ、遊具の色、お洒落なトイレ。

ちょっとした工夫やデザインが嬉しい「北オアシスパーク(吉田町防災公園)」でした。

足下にのこる津波の跡 ―湖西市【おんやど白須賀】―

ハート防災ライターのです。

静岡県内の防災に関わる、ヒト・モノ・コトや歴史などをレポートすることとなりました。

防災素人の私で良いのか?ラーメンならまだしも?という自戒の念を抑えつつ、素人ならではの視点で、少しでも多くの人に響く情報が届けば幸いです。

第一回は、湖西市にある「おんやど白須賀」。

津波に関する資料が展示してあるという情報を元に、何のアポもあても無く、訪問してきました。

「おんやど白須賀」は、東海道宿駅開設400年を記念し、白須賀宿の歴史と文化に関する知識を広め、資料の保存と活用を目的に設置された白須賀宿歴史拠点施設です。

おんやど白須賀の紹介はこちら http://kosaicity.com/onyado.html

白須賀宿は元々、汐見坂(潮見坂)下の海岸沿いにあったのですが、宝永4年(1707年)の津波被害に宿場が全滅、今の坂上の台地へ移転したのです。

カメラをぶら下げたおっさんが何やらしているぞ?そんな不安を払拭すべく撮影許可をいただいた所、アポなしにも関わらず館長の森さんが親切に案内してくれました。

入り口から中庭を抜け、展示室に入ると正面一面に、津波の記録コーナーがあります。

まず、目を引くのが、何か土の塊のようなもの。なんだ、これは?

2001年の道の駅建設の時に発見された土層を剥ぎ取ったもので、過去の津波の跡がわかるそうです。

1498年、1606年、1707年に起きた津波の爪痕が土層という形で残っていたのです。近くで見ると、少し黒っぽく、土質が違うのが分かります。

白須賀を襲った地震、津波の年表を見ると、改めて

地震、津波は繰り返すもの

自然災害から逃げることはできない

ことを実感します。

1707年の津波による全壊の後も、1854年、1944年と大きな津波被害に遭っています。

特に、南海トラフで起きた地震が静岡県に大きな津波被害をもたらし、その周期を見てみると、これから50年の間に同規模の地震が来る可能性が大きいことを、歴史が教えてくれます。

遠州灘、東海道、旧白須賀宿跡の位置関係がわかる空撮写真

1707年の宝永地震の翌年に高台へ移転した

 

これらの資料から感じるものは人それぞれ違うと思いますが、

繰り返す地震・津波は、忘れたころにやってくる

自然には勝てない人間の弱さ

それでも復興しながら生き続ける人間の強さ

が、足下に残る土層から伝わってきました。

とりあえず、津波予報が入ったら、何は無くとも高台へ走れ。

津波は防げずとも、津波予測の技術は、100年前より進化しているようなので。

 

取材帰りに、潮見坂ポイントへ。

波の良い時には、大勢のサーファーで賑わうメジャーポイントのひとつ。

サイズ、波質が良ければ入ろうと思いましたが、諦めました。

津波の時は、どんなだったのだろう?

宿場を飲み込む波は想像できません。

津波注意の看板。

どんな注意をすればいいのでしょうか。