地球の営みから生じる 美と畏れを感じる。
ハート防災Jです。3月3日(土)、ハート防災キックオフイベントの第2弾「まちめぐり◆函南~三島編」に参加してきました。
当日は天気に恵まれ、三島市民文化会館を13時過ぎに出発。バスの中では、「三島は富士山の溶岩がつくった街」「三嶋大社はその土砂の上に立っていて、石垣は富士山の石でつくられている」「2900年前に富士山で大きな崖崩れが御殿場を埋めた」など、面白い話が聞けました。話をしてくれた案内人のおふたりは、
静岡大学教育学部教授で、火山学、地震・火山防災などを専門とする小山さん
小山さんの教え子で、火山の調査から防災マップにも従事し、現在は伊豆半島ジオパーク推進協議会 専任研究員の鈴木さん。
お二人の詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。
その後も「三島は坂のまちで、沼津よりも30m位高いところにある」「田方平野は昔は入り江で、掘ればしじみがでてくる。地盤がゆるい土地で被害が大きく、火山の恵みで野菜の産地になった」など、歴史的な視点で見ると、なにげない起伏も地球が生きている証拠だということ。うーん、面白いです。
そんな話を聞いている間に、最初の目的地「丹那断層公園」に到着しました。
丹那断層は、1kmもの断層のズレが世界で初めて実証された有名な活断層。川が食い違っていることが地図上でわかります。ジオパーク説明版の下にある、伊豆半島ができる60万年前の図を見ていると、人間はなんてちっぽけな存在なんだ、と思えてきます。
丹那断層一帯の模型を見ながら小山先生が説明してくれました。屋外施設なので、いつでもだれでも見ることができます。
1930年の北伊豆地震によって起きた断層のズレを見ることができました。
写真だけだと分かりにくいので説明版も。丸い塵捨場と水路がずれているのが見えます。場所によっては2mの横ずれが発生し、当時工事中の丹那トンネルを直撃。当時の様子は、吉村昭さんの小説「闇を裂く道」でもよく分かるそうです。小山先生おすすめの1冊。
観察室では、地下の断面図を見ることができます。ちょっと分かりづらいですが、地震の歴史をこういう形で残して公開するということ自体に価値があるということです。
酪農王国オラッチェにバスを停めて、丹那盆地の田園地帯から山側を見学。鈴木さんが、数十万年かけて上下にずれた断層地形の説明をしてくれました。普段は気にすることのない山の尾根にも歴史があります。
オラッチェにて休憩タイム。小山先生絶賛のソフトクリームには行列ができていました。美味しそうです。
伊豆半島ジオパークの案内板がありました。
伊豆半島は、かつて南洋の火山島や海底火山の集まりだったものが、フィリピン海プレートと一緒に北上し、本州に衝突してできたものです。「伊豆半島ジオパーク」は、現在も続く火山活動や地殻変動がもたらす自然の恵み、温泉や湧水、美しい景色や文化などを含め、各スポットを「南から来た火山の贈り物」をテーマに、伊豆半島をまるごとミュージアムとして紹介しています。
詳しくはホームページをhttp://izugeopark.org/
丹那盆地から北上し、次に向かった先は、田代盆地の火雷神社。北伊豆地震の際に横ずれした跡をみることができます。
上から見ると、階段と鳥居がずれているのがわかります。
崩れた鳥居も、そのままの状態で保存されていました。災害を語り継ぐために、地域の人がそのままの状態で残しています。北伊豆地震では死者・行方不明者272人という大きな被害がありました。「なぜ壊れたままなの?」と考えさせることが、事実を風化させない役割を果たすのでしょう。
函南から三島に戻り、三島駅前の浅間神社へ。
遠い昔、富士山噴火があった時に流れ出た溶岩が、ここ浅間神社で止まったことから、別名「岩止め浅間」とも言われています。神様が足で止めた跡が残っているという言い伝えも。
歩いてすぐの所に白滝公園があります。富士山から流れ出た溶岩が三島市北部の台地を作り、亀裂やすき間の多い溶岩は、地下水の通り道となって湧水を生んでいます。白滝公園は、三嶋の一大湧水地で、溶岩から溢れ出る様が滝のようだったのが名前の由来だそうです。
足下には、溶岩がところどころにあります。何万年、何十万年の歴史の中で形作られてきた土地の上に暮らしているんだなと実感します。
防災の話をしていると、地震、津波、噴火など自然災害に目が行きがちですが、自然がもたらす恩恵を忘れてはいけません。自然に対する敬意を失わずに、人間が選択肢を間違えないためには、自分が住んでいる土地を知ること、語り継ぐことが大切です。「地球の営みから生じる美と畏れ。」を学ぶツアーでした。